自分の死を思い描く

      死を語ることは忌み嫌われてタブーとされています。
      お年寄りが居る所で死の話など始まると「まあ〜縁起でもない止めてよ」
      とか口元に指を当てて「シー」と言って話を閉じさせてしまいます。
      それは死は恐く不安で、人間の終わりを意味する不吉な事柄だからと
      思っているのでしょうね。死は決して不吉なものではないのです。
  
      確かにあの世は私たちの五感に感ずる事はないし
      目にも見えない世界でもあり、肉体的には未知の世界ですが、死んだら
      もうすべて終わりではないそうですよ。
      それは肉体と命は別々だからです。肉体は死をもって無くなりますが
      命は生き続けるのです。
  
      心置きなく死後の世界に移行できるように毎日を過ごしたいのです。
      自分の死を恐れず、死を深く思っていると、毎日を真剣に生きてゆく事に
      なると思います。人生をおろそかに出来なくなって来ます。
      自分の価値観を高め、家族に安らぎを与え、調和した愛ある生活を送って
      暮らすと死を恐れる事も無く、不安恐怖も出てきません。
      何よりも肉体と生命はべつなのだとしっかり理解していると死は恐くは
      ないといいます。。
  
      私は母に年一回ぐらいしか会いませんが、母とは死の話を何回かしました。
      死後の事、死の瞬間などですが母は、聞き入れてくれて、安心したような
      穏かな顔で楽になったように「分かったよ!有難う!」と言いました。
  
      昨年母は入院した時があります。姉と私の前で、「私はもうそんなに長くないと
      思うのであんた達に言って置きたい事が有る」と言って話し出した言葉は、
      「私の人生は幸せだった。あんた達に色々お世話になって有難う。
      私が死んでも悲しまないでくれ、本当に良い子供に恵まれてよかった。有難う!」
      と言いました。予期せぬ事にビックリして姉と顔を見合わせてしまいました。
      「うん分かった。心配要らないよ」としか返事は出来ませんでした。 もっと適切な
      返事の言葉があったはずなのに・・・
      私はまだまだ頭だけで分かっている部分が沢山あるのだと気が付きました。
      その直後すぐに母のことは心配ないと思い嬉しく思いましたし、母は凄い!。
      あと50日程すると94歳になりますが、現在おかれている立場はしっかり分かっ
      ていて日々を過ごし、家族中に愛されています。
      苦痛の無い、安らぎのある、立派な死をお手本に残して母は旅立ってくれる
      ことを願っています。
      
      私も愛する家族に囲まれて、苦痛の無い、笑みを持って明るく心から感謝の
      言葉を残して、逝けるように自分の死を描き日々を過ごします。


      覚え書き目次へ       ホームへ