大腸がん手術


       2008/10 /9 記

       20年8月25日(月)入院

       今日はCT検査があった。今回は以前の検査の時と違って強烈に体中に
       熱いものが通り抜けなかった。進歩しているんだなぁ〜と思った。
       大腸の手術が済んだら他にがんが見つかった。では遅いので
       他にがんがないかと言う事で調べているようである。
       単純造影にて胸部・上腹部は2回法。骨盤腔を撮ってもらう。

       お部屋は4人部屋で3人とも術後の方だった。一人はお年寄りで

     
 お二人はお元気そうだった。

                       



       8月26日(日)
       今日は胃カメラ検査。以前はカメラを飲むと言っていたが、今回はカメラを
       入れると表現する方が合っている気がした。「はいごっくんと飲んで」
       と言われても先生と私の呼吸が合わず飲み込めず苦労した経験が
       あって、胃カメラは嫌いだったが、今回はその必要もなく
       「入りましたよ」とすぐに先生の声を聞く。
       異常なしとの事。胃には癌がないことが分かった。私は最初から無いと
       決めていたので当然のことと感じた。気にしていた食道静脈瘤もない
       との事これは嬉しかった。やはり進歩した機械を使っている!。
       もう胃カメラ検査は心配なくいつでもOKである。

       点滴の台を転がしながらお部屋に戻ると、姉と弟が心配して面会室で
       待っていてくれる。新潟から来てくれたのである。元気な私を見て
       安心して帰ってゆく姉と弟を玄関まで見送る。少し寂しさがきた。
       その後手術予定の説明があった。9時50分に病室を出て約3〜4時間の
       予定との事だった。
       点滴は2日目にして早や漏り出してしまう。



     
8月27日(水)
       朝・昼とお粥。夜は葛湯にジュース明日の腸の内視鏡検査のためである。
       夕食後プルゼニド錠12ミリx4を飲む。(下剤)

                       
               夕食 葛湯・コーンスープ・ジュース・ほうじ茶

       8月28日(木)
       午前4時半ごろ低血糖が起きる。初めての事で何だか分からず吐き気と
       貧血のような感じで起きていられず、全身じっとりとした冷やせが出たりと
       辛かった。看護師さんにナースコールを押す。
       看護師さんはすぐに低血糖と分かったらしく、血糖値をはかり飴をくれた。
       病院の起床は6時であるが7時半まで起きれなかった。

       9時に洗腸液2リットルを2時間で飲み切るようにと言う事で飲み始める。
       1リットル半ほど飲んだあたりで飲めなくなった。我がまま言ってるのではない。
       洗腸液が胃から下がって行かないのである。強い吐き気が来る。
       便が下りだしたが前回のように気持ちよく勢いよく出ない。残っている洗腸液
       250ミリで「もう飲めません」と言ったら、「ゆっくりでいいから飲んでください」と、
       看護師さん。無理して飲んだらものすごい勢いで口から洗腸液が出てしまう。
       同時に下からも出る。トイレで上下で滝のように出てしまう。
       幸い用心に紙おむつを履いていたのでトイレを汚さず他の方に迷惑をかける
       ことはなかった。
       すんなり検査が済んで当たり前なのにどういう訳があるのか?。
       普段からもっと体を労わっていなかったと言うのかしら原因は分からないが
       一応便は出きった。

       3時半過ぎに 内視鏡検査室に行った。検査用の衣類に着替えベットの上で
       待たされた。
       主治医の先生は緊急手術でもう少し掛かるらしい、ような話し声がかすかに
       聞こえた。しばらく待たされて始まった。軽い麻酔剤を点滴で入れるので
       眠気で呼吸が浅くなるため酸素マスクを鼻につけて検査は始まった。
       その他に体のなかの酸素が足りるように時たま鼻から
       大きく息を吸って口から吐く事を言われたようにやっていた。
       眠気などなく ばっちりモニターを見ていた。中々がんの場所に行き着かない。
       ようやくがんが見えてきた。丸く固そうだった。そのがんの所に印にクリップを
       二つ打った。手術のためらしい。
       痛くも痒くもないが、内視鏡室の先生は流石専門家と感じる。
       手さばきのよさで感心してしまう。 一回でぱっちっと打つ?射す?のです。

       その他に今日はCV挿入の予定だったがなかった。やはり血小板が少ないの
       で中止だったのか?、どうしてなのだろうと思ったが聞いてはみなかった。
       朝方からの出来事も検査もようやく終わった。


       8月29日(金))
       嬉しい事に今日は朝から常食が出たのである。(入院から退院まで常食は
       この日だけだった。)
       また思いかげず4人ものお見舞い客が次々と来てくれる。検査もなく元気な
       時で良かった。楽しい一時が過ごせた。院内のレストランへ行ってお茶をする
       ことも出来た。

       手術前後のリハビリテーションについて説明があった。
       手術後の合併症予防並びに体力のスムーズな回復のためである。
       リハビリの先生と廊下を200メートルも歩き、肺の機能だか?何だか
       分からないが計測する。

       手術室の看護師さんも手術室の説明に来てくれる。娘と同じ姓の看護師さん
       だった。説明は写真を見せてもらいながら、入り口から始まり手術台、
       血圧計を付けるとか手術に必要な準備のお話を聞かしてもらった。
       少しも恐怖心は湧かなかった。

       6時半から手術の説明があり、家族3人でお聞きする。
       「盲腸がん」と言う事だった。俗に言う盲腸(虫垂炎)とは違うのである。
       結腸右半分切除。リンパ腺切除。切り取る腸の長さは約20〜30センチとの
       説明。硬膜外麻酔のお話しもあり、この麻酔には不安を感じる。
       何枚かの同意書にサインをする。
       玄関まで夫と息子を送る。外は真っ暗だった。二人は駅まバスで帰って行っ
       た。
       結腸右半分切除とか、切り取る腸の長さは約20〜30センチ、
       手術時間は3〜4時間の予定との説明を聞き夫の心配そうな様子を感じた。
       家族に心配掛けて申し訳ない。
       先生は「簡単な手術です」と仰った気がするが家族は聞いてくれていたかし
       ら〜。

       明日と明後日は土日でお休みになる。麻酔の先生が説明に来てくれる事を
       心待ちしていたが来て下さらなかった。看護師さんに「麻酔の先生の説明
       は無いのですか」と聞けば良かったのであろうが、何時か何時かと思って
       いるだけでは相手に私の気持は伝わらない。
       (過去に1時間程度の全身麻酔で白内障手術をした時も説明があり
       不安なくのぞめた経験があったので)。でも肝硬変患者の麻酔は難しいと
       どこかで聞いた記憶があるので本当は聞きたかった。
       大手術でもなくきっと難しい麻酔ではないのであろう!
       「全てうまく間違いなく行く」と言う心境にきり替えた。 

       色々と忙しい一日だった。     

       8月30日(土)
       10月1日の手術の準備で3食とも5分粥の菜食柔らかい物だけで
       お味噌汁には実は入っていない。
       血管が細いため点滴がスムースに入らず、もれてしまい針をさし直しをしたりと
       看護師さんも私も苦労している。
       21時ブルゼニド下剤を4錠飲んで寝る。
                 
                       

       8月31日(日)
       手術後は他のお部屋に移るので朝のうちに荷物の整理をする。
       その外に手術後ICU室に持って行く荷物もまとめる。

       明日の手術にむけて胃腸を空にしなければならないので、
       又も洗腸液2?を9時から飲み始める。
       3日前に飲んだばかりなので飲みたくなく、覚悟きめ気合を入れて飲み始めた。
       やはり吐き気が強く250cc程残してしまう。
       今回も胃の辺りに洗腸液が残った感じがして気持が悪い。
       便も納得の行くほど出ていない気がしている。お昼近くなっても
       少しずつ洗腸液と思う便が出ている。スッキリせず気持が悪い。

       午後から看護師さんがお腹の体毛を剃り、おへその掃除に来てくださった。
       お風呂の準備もしてくださり首を洗うではなく(笑)お腹を洗った。

       夕方ICUへ持って行く荷物を看護師さんが点検して預かって行きますと
       取りに来た。
       下着類や歯ブラシ、腹帯、テッシュ等である。

       夕方6時半になっても便の下るのが収まらない。便と言うか洗腸液だと思う。

       夜になって又もや低血糖が起きてしまう。血糖値を計って看護師さんは
       驚いた声を出して慌てていた。今回は飴ではなくブドウ糖らしきものを2本も
       点滴中の管から入れた。すぐ楽になった記憶はない。
       吐き気は続き何度か吐いた。夜の11時半ごろにはトイレまで行く元気がなく
       なった。洗面器を用意してベッドで吐いていた。(洗腸液)

       明日は手術の日だと言うのに睡眠時間が少なくなってしまった。
       何事もなくすんなりと手術に臨めると思っていたが、私に何を学ばせようと
       しているのだろう?日ごろもっと体を大切にしなさいということかしら。
       健康体の有り難さか?病気の人の気持を察しなさいという事か?
       どんな意味があってこのようになったのか、今はまだ分からないが
       後で理解する時が来と思う。その時は素直に認め実行しよう。
       
        9月1日(月手術の日 
       手術の朝を元気に無事迎いました。昨夜の苦しみはすっかり消え去り過去の
       事となっていた。
       9時40分看護師さんが手術着の着替えの手伝いに来ました。 
       9時50分にお部屋を出て手術室へ。家族の者はそれより30分前に来ている
       ようにと言う事で夫と息子と妹の3人に来てもらった。
       点滴台を押しながら家族と一緒に手術室のドアーの前で来ました。
       「大丈夫だから心配しないで、じゃ〜行って来るね」とまるでドラマのような情景
       で手術室に一人で入った。
       家族の控え室は手術室のすぐ横のようだった。
       待つ家族の方が長く心配な時間だったと思う。私は眠っている間に切り取って
       貰えるのだから楽なもんである。
 
       執刀の主治医の先生と、麻酔の先生看護師さんに挨拶をする。
       一人で2段ほど上った台の上に横になった。唯一不安だった硬膜外麻酔の
       時がいよいよ来たのだと心を落ち着かせた。突然麻酔の先生が
       「硬膜外麻酔は中止しました」と言われる。
       主治医の先生が続いて「リスクはないが痛みがあります」と言われる。
       考える暇もなく「痛いのかぁ〜」と思っているうち手術台に何人かで移された。
       台が温かく気持が良かった。「温かくてすごく気持がいいです。」と言ったら
       台を温めて置いて下さったとの事でした。それから10時12分と言う声が
       耳に入ったが、その後の事は何も覚えていません。

       うっすら気が付いたのがICUに来て強烈な痛みに襲われ始めた頃
       だった気がする
       家族3人が傍にいるのがうっすら分かった。今思いばここで家族にお礼の
       「有難う」の一言をどうして言わなかったのかと後悔しています。
       (かすかな声は出せた)
       あまりの痛さで家族に甘いていた部分も確かにあった。
       次々と鉄の下ろし金のような四角い黒い物体が何枚も縦隊してとがった刃を
       立てて押し寄せて襲え掛かって来るのです。通り過ぎると小さな集団が襲って
       来るのです。その時はいくらか痛みが和らぎ一息告げるのですが、
       又大きな集団が押し寄せて来て苦しめるのです。
       痛い!痛い!と変な声を出していた。(うっすら覚えている)
       その繰り返しがどのくらいの時間続いたのか分かりませんが、辛かった!。
       この痛みが「リスクはないが痛みがあります」との事だったのか
       それにしても先生!痛すぎるよ〜〜。

       ICUには家族は10分〜15分しか居られないそうですが、
       痛み止めがようやく効きはじめ、高かった血圧も170に下がり、私が眠り始めた
       ら「ご家族の方お帰り下さい」
       と看護師さんに言われたそうです。この間1時間半ほどだったそうです。
       (これは元気になってから聞いたことです。)
       私のあの痛みは過去の事になりましたが、夫、息子、妹が、痛がる私の姿に
       1時間半も付き添ってくれていたその時の気持は
       私以上に辛かったと思いますし当分思い出すのだろう。
       申し訳なく気の毒な結果になってしまいました。

        9月2日(火)
       手術当日の3時頃?からぐっすり眠って翌日のお昼近くに目覚めたのか?
       まだICUにいた。隣に衝立が見えたし天井も見えた。ICUの看護師さんが
       ベットの下に立たせようと一生懸命に介助してくれているが、震えと貧血の
       ようで立てなかった。
       少しして又立つ介助をしてもらってどうやら3秒間位立てた気がした。
       立てたことが目安なのかどうか分からないが、それから一人部屋に移った。
       一人部屋に来てうつらうつらととても気持ちの良い眠りが続いた。

       勤務先の息子のところへ病院から「ICUから一人部屋に移りました」という
       知らせの電話が入ったそうです。なんと親切な丁寧な病院なのでしょう。
       昨日の痛がっている姿しか見ていない時点では、
       息子もさぞ安心したと思います。

       夕方になってリハビリの先生が来て、立ち上がり方を丁寧に介助くださって
       先生の肩にしっかり?まって立つところまで行ったがやはり震えてしまい
       立っていられなかった。
       先生「今日はここまでね明日又来ます」とお帰りになる。
       手術の翌日から歩く練習が始まったのです。
       合併症予防と体力の回復のためである。とは言っても
       真直ぐ伸ばして寝ている足を曲げるだけでも、お腹に強い痛みを感じる時です。

       点滴が入らず漏って腫れて8月の26日から続いて苦労している。

       手術の日から9月5日までメモる元気も出ずどう過ごしたか良く覚えていない
       が、家族が順番に毎日来てくれて、歯磨き等細かい事をしてもらっていた。
       3日目だと思うが気持の良い夢を見た。娘由理子が一歩前にいて、その後に
        ご縁のある天界の住人さん方が大勢お部屋に来て見守っていた。
       授業参観のようにベッドの後ろに大勢立っていたのです。
       ふあ〜っと嬉しい気持ちと有り難い気持ちになった。
       私は守られている!これで大丈夫元気になれる。
       合併症も無く回復するのだ!!とワクワクするような嬉しさを感じた。
       恐さなど全くなかった。もう一度皆さんに会いたい!会いに来て〜〜。

       今でも覚えているいる言葉があります。それは夫の「頑張れ!!」
       「頑張ってくれ!!」と言って励まし、元気になってもらいたいと心からの
       願いの言葉でした。 夫の心がジーンと伝わってきました。嬉しかった。
       頑張って元気になろうと言う勇気もわいた。

       何日目か覚えていないが、夜元気に眠りについて翌朝目覚めたら元気が
       出ない。しゃべるのもいや、何をするのも考えるのもいや、看護師さんの問い
       に答えるのもいや、面倒くさい。もうどうなってもいい、何もかもいらない。
       死んでしまいたい!
       そんな気分の朝があった。
       息子のお嫁さんが来てくれたので、「何だか元気が出ないんだけど」
       と話したら「お母さま鬱になってしまったんだと思う」と言われる。
       色々優しく話しかけてお世話をしてもらっているうちにす〜っと気持が晴れて
       元気が出てきました。感謝感謝です。
       まるで憑き物が取れた様であった。こんな体験始めてである。
       
       相変わらず点滴には苦労している。

       9月5日(金)
       尿管が取れた。今日からトイレに行けるようになる。
       リハビリの先生のお陰で大分歩けるようになり、
       1階のレントゲン室まで一人でレントゲン撮りに行って来た。
       ベットで休んでいるとリハビリの先生がいらっしゃった
       そして「頑張ったね」と褒められた。
       始めての遠出をしたが疲れなかった。朝のうち採血もあった。
       一人で歯磨きも洗顔も出来るようになっている。

       9月6日(土)
       午前中息子夫婦が来てくれたお嫁さんがてきぱきとお世話をしてくれて
       有り難いことでした。入れ替わりに姪が二人でひょっこり来てくれる。
       嬉しかった。30代後半のぴちぴちママさんの二人です。
       又入れ替わりに夫と弟夫婦が来てくれる。個室にいるので朝から
       身内の来室で自宅にいるような感覚だった。
       今日からお水を飲んでもいいとの許可がでました。
       (日にちが間違っているかもしれない)

       9月7日(日)
       お昼に流動食が配膳された。8月31日から8日間ぶりの食事です。
       全くお腹は空いていないけれど、思い切って重湯を飲んでみたが不味くて
       飲めなかった。ジュースは甘くて美味しかった。

       午後から大切なお友達ご夫婦が来てくれた。切ったお腹を見せた。
       まだ抜糸をしていないのでホッチキス止めの傷は痛々しく見えたようです。

       「広大な土地に大きな綺麗な病院で、一人部屋も広くいいですね。」と言われ
       た。
       お見舞い客の何方も綺麗だと言います。都心では広い土地がないから緑もな
       い病院が多くこの病院は来て下さる皆さんが気に入っている様子でした。
       先生や看護師さんの優しさはさることながら、
       一人部屋で周りに気兼ねなく養生に専念し、過ごせた事が順調な
       回復になっているのかもしれないと思います。

                       
                     10日間過ごした一人部屋

        9月8日(月)
        遠くから親戚の方が来てくださった。申し訳ない気がした。
        お互い久しぶりなので楽しい時間が過ごせました。
        お帰りは夫が駅までご一緒した。

        この日より退院前日まで毎日夕方に、お見舞いに来てくださったお友達が
        います。嬉しくて毎日が楽しみだった。これからは更に大切にお付き合いを  
        続け、いつまでも変らぬ友情でいようと思っています。

         
          頂いたお花

        9月9日(火)
        朝のうち先生が抜糸をしてくださった。ホッチキスを抜く道具があるらしく
        次々と下の方から簡単に抜いていった。蚊に刺されたくらいの感じがした。
        「シャワーを使っていいからね。傷は綺麗だ。」先生は全く心配なさそうに仰
        る。そして横腹に刺して有った管も取ってくださった。これも痛くは無かった。
        これで血液の入ったポシェットを肩に掛けずに歩けることになる。
       
        髪を洗っていただきお部屋に戻る途中美容院を経営している
        お友達とそのご近所のお友達お二人が廊下を歩いていた。
        お互いにまあ〜まあ〜のご挨拶。
        お部屋の大きな鏡の前に椅子を持って来てブローをしていただく。
        「お店にいるみたいね」。病人とお見舞い客ではなくいつもの
        仲間になった。
        「大きい病院ね綺麗だね」との感想。
        快気祝いはいつ?何処で?という話になり結局美容院でと決まる。
        先に楽しみがあるのは元気が出ます!!。
        点滴は夜中の11時半位まで我慢して我慢して終わった。腕から指先まで
        パンパンに腫れていた。大切なお薬だから入れなくてはと毎日頑張りました。
        腫れ上がるような点滴は効果があるのか、ある面悪影響があるのかもとも
        思ったこともあった。

        9月10日(水)
        点滴は「無理なので昨夜で終了です」と聞き、ホットする反面お薬を
        入れなくて大丈夫なのかと不安もよぎったが、心配ないとの事だった。

        ICUから上がってくる患者さんのため一人部屋を出て、4人部屋に移動した。
        点滴も終わり体に付いている物もみな取れているのでこの日からは看護師
        さんに特別にして頂くことがなくなった。
        ずっと続いている下痢便は今日も続く。血の便は今日も一度有って便器の
        中は真っ赤だった。でも心配はないらしい。

            
              病院の敷地内で取った雑草を洗面所に飾った。

        9月11日(木)
        朝7分粥 お昼から全粥となった。
        便は血の多い水の便がまだ出ている。娘の親友とそのお子さんが来てくだ
        さった。楽しいお話をして早く元気になって食べに行きましょうね。と約束をす
        る。
        夕方手術後の説明があり夫と息子が来てくれる。
        特に難しいお話はなく、ステージ2と知らされた。深さはssと仰った。
        「綺麗に取りきれているから抗がん剤は使わず行きます」との事でした。
        嬉しいお話が聞けて皆がほっとした。先生に心から感謝申し上げました。
        (抗がん剤を使うか使わないかに関係なくがんの再発%は同じだ」とも
        仰った。でも私の場合は90%大丈夫なようであった。
        そのように心に強く決めました。
        これからは外来で採血やレントゲン、半年に一度の内視鏡検査
        で見て行くとの事でした。嬉しい説明を聞く事が出来ほっとしました。

        今夜も玄関まで送りバスが発車して見えなくなるまで見送った。
        この時間になると来院者も少なくバス停も廊下も寂しかった。

        9月14日
        今夜は中秋の名月です。お月見カードとゼリーのような物を付けてくださった。
        嬉しい心配りです。

                     

        9月15日(月)
        昨日に続き敬老の日、今日もカードとプリンのような物を付けてくださった。

        9月16日(火)
        退院の前に栄養士さんの退院後のお食事についての
        お話を伺えました。
                  食べ過ぎないように。
                  良く噛んでゆっくり食べましょう。
                  食事時間を規則的にしましょう。
                  消化しやすいものを中心に食べるように。

        9月17日(水) 退院
        朝の9時半に、お友達が高級車で迎えに来てくださった静かな運転を
        心がけて下さり乗りごごちがよく、お陰様で疲れもなく退院いたしました。
        奥さんが美味しいおでんを沢山作って夕方届けてくださった。
        気を使って下さって大根等も柔らかく煮てあり、何の支度もせずに
        美味しい夕食を頂く事が出来ました。
        なんとお礼を申してよいか分からない。優しい深い友情を頂きました。

        今回の手術では病院の皆様をはじめ本当に大勢の方々にご心配やお世話
        になりました。
        心から感謝申し上げます。頂いたご恩など直接お返しが出来ないかも
        しれませんが、恩送りの言葉に甘いて、感謝を忘れずに人に愛をの人生を
        過ごして行きたいと思います。

        この度の大腸がん手術は悪いところは綺麗に取っていただき、
        合併症もなく、後遺症もなく、皆様に温かく応援していただき
        健康体になって心配な事は一つもなく退院できました事
        大変幸せに存じます。有難うございました。

        夫には長い間留守をしたことや不自由や心配掛けた事など心からお礼を
        言いました。

        長々とつたない日記をお読みいただき有難うございました。


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